【特集4,000字超え拡大版!】逆境を“出会い”と“気付き”で乗り越えた銅メダリストとのふれあいは、リオン塾生の心に何を残したか。

リオ・デ・ジャネイロパラリンピックの銅メダリストがリオン千葉校に——。「ウィルチェアラグビー」という、車いすに乗り得点を競うラグビーの日本代表選手・官野一彦さんが、リオン千葉校で講演を行ってくださいました。リオン千葉校での講演に至った経緯は、松田塾長が出演したイベントで出会ったことがきっかけで、官野さんが「この人、やべえ!絶対仲良くなりたい!」と思ったそうで、今回の講演の依頼にも快く応えてくださいました。主にメディアで目にすることがもっぱらであろう銅メダリストとの生のふれあい、そして初めて手にした銅メダル。リオン塾生の真剣な眼差しが印象的でした。今回は、そんな貴重な時間を経験したリオン塾生の様子を、振り返ってみたいと思います。
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銅メダリスト 官野一彦 選手
2016年 リオ・デ・ジャネイロパラリンピック
ウィルチェアラグビー日本代表

小学生から高校生まではプロ野球選手を目指し、毎日野球に打ち込んでいた野球少年であった。高校を卒業後にサーフィンをはじめ、22歳でスポンサーがつくほどの腕前になったが、サーフィンの練習中の事故で頚椎を損傷。車いすの生活になった。その後、2016年のリオ・デ・ジャネイロで開催されたパラリンピックにおいて、ウィルチェアラグビー日本代表として出場、見事、銅メダルを獲得した。座右の銘は「ダサいことはしたくない」。
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官野一彦さん講演

「小さい頃からスポーツが大好きで、僕は小・中・高校とずっと野球をやっていて、高校は木更津総合高校に通っていたんです。でも、高校を卒業する時に、プロ野球選手にはなれないなって思って。『これから何をやろうかな』と考えていた時に、『千葉県だし海があるからサーフィンやろう!』って思って、サーフィンを始めたんです。女の子にモテたいのもあって(笑)」
<銅メダリストが来る!>そう聞かされていたリオン塾生にとって、官野さんのこの語り出しは驚いたに違いありません。偉大なメダリストでありながら、まるで自分の身の回りで見かける“お兄ちゃん”のような気さくさとユーモアを兼ね備えた方だったからです。抱いていたイメージと、良い意味でのギャップに驚きに満ちた表情を浮かべる塾生が数多くいました。
「22歳の時に、波が小さいことを理由に油断してボードと自分の体を繋ぐ『リーシュ』という紐をつけないで海に出ちゃったんですよ。その時、変な転び方をしてしまって、浅瀬に垂直に落下して頭をぶつけてしまったんです。意識はあるけど、体が動かなくて。すぐに病院に運ばれ、医師から車いすの生活になることを告げられました」
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一瞬の油断が招いた事故——。官野さんは、動かなくなってしまった体へのショックから、苛立ちをあらわにし、母親や病院の関係者に対し、強く当たってしまったそうです。リオン塾生にとっても、受験への不安から来る苛立ちなどを抱える人は少なくありません。形は違えど、官野さんの“逆境に立ち向かわなければならない状況”の中に、共通点を見出したのか、リオン塾生の表情はさらに真剣になっていました。
「気持ちを切り替えられるような出来事が、入院して5日目くらいにあって。夜中に目が覚めてしまって、母さんが鼻をすする音が聞こえてきて。『あ、泣いているんだな』って思って…。その時、強く生きていこうと心に決めました。で、次の日の朝に、怪我をしてまだ1週間も経っていないのに、回診に来た先生に『リハビリやらせてください!』と言ったんです」
不思議なもので、逆境に立ち向かった時、人生には“気付き”が訪れる。官野さんの場合も、すべからくその法則に従っていました。松田塾長も、大きくうなずきながら官野さんの話を聞いていました。思えば、松田塾長も若い頃から様々な困難に見舞われ、それを乗り越えて来た人。だからこそ、共感できる部分が多いのだと思います。
「リハビリを続けて11ヶ月ぐらいで家に帰れたんですけど、車いすで生活することで、手一杯でした。1年間ぐらい車いすの生活をしていたある時、街を歩いていたら、知らない車いすに乗った男の人に『車いすラグビーって知ってますか?』って言われて。家に帰ってからネットで検索したら、2004年のアテネパラリンピックに日本が初出場したことを知ったんです。その年の日本代表の結果は8チーム中8位。『もしかして、この競技を今から始めたら、世界に出られるチャンスがあるかもしれない』って思ったんですよ。日本代表になったら、きっと女の子にモテるべ、って思ったんですね(笑)」
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真剣な表情から一転、思わず笑い声が溢れる塾内。官野さんは、持ち前の“ポジティブさ”で、逆境を転じてチャンスに変えていきました。銅メダリストのリアルな生き様に、人生の夢を追いかけリオンで学ぶ塾生の心に、何か大きな学びがあったに違いありません。そんな“出会い”と“気付き”ではじめたウィルチェアラグビー。官野さんは、なんと1年という期間で日本代表入りを果たします。
「競技を始めて1年、2007年に日本代表に入るんですよ。2008年に北京があったんですけど、11人北京に行って、僕は12人目の補欠になりました。僕、調子に乗っちゃう性格なんで、2010年に代表から落ちてしまうんです。2011年に代表に復帰して、ロンドンパラリンピックにスタメンで出場しました。まあ、天才爆発ですね(笑)。ただ、ロンドンパラリンピックでは4位だったんです。自分の目の前で、みんなが喜んでいるところを見るのは、すごい辛かったし、悔しかったし…。そして4年かけて、なんとか順位をひとつあげて、戻って来ることができました」
代表選手になってからも訪れた困難。しかし、ここでも官野さんは今までと変わらぬ姿勢でチャンスへと変えていきました。これが、偶然と言えるでしょうか。松田塾長が時々語る<絶対にピンチはチャンスに変えられる>という言葉が、より色鮮やかに感じられます。

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官野一彦さん、リオン塾生・講師との質疑応答

松田塾長:
「話の内容がほとんど女の人でしたね(笑)。でもそういうのも大事ですよね」
官野さん:
「いや、本当に大事ですよ(笑)。立てた目標のその先に何があるかが大事なんだよね。『金メダル取りたい』だけじゃ、金メダルは取れない。金メダルを取って、何がしたいか。自分がどうなりたいかが大事。モテたい、金持ちになりたい、なんでもいいと思う。この大学受かりたい、って奴は絶対受かんない。この大学に行って、何がしたいのか。どうなりたいのか。この先の『何か』を強くイメージして、具現化しようとしてる人が一番強い。だから、全然『女の子にモテたい』っていうのでも、超いいじゃんって思うし、そういう人は強い。真面目な顔して女の子にモテたいって、おかしな話ではあるけど、そういう人の方が強いと思ってるし、実際自分がそんな感じでやってきたから」

生徒:
「自分のネガティブな部分とどのようにして戦って、打ち勝って結果を残せるようになったんですか?」
官野さん:
「僕は辛くても、苦しくても、車いすで歩けなくても、何か前向きなことを言っていくことで必ず前向きなことが起こるって思ってるの。もちろん、辛いこともあるよ。でも、辛いことを辛いっていうと、やっぱり本当に辛くなっちゃうから。言葉でも考えでもいいから、とにかくポジティブな方に自分を持っていくと、勝手に自分がプラスの方に進んでいく。この辛さの先に何かいいことがあるんだってポジティブな方に考えると、それってどんどんどんどんいい方向に進んでいくから。結果的に、いつもそういう風にして生きてきたのかなって思います」
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生徒:
「自分の意思が弱くて、途中でくじけたり打たれ弱かったりするんですけど、どうしたらその気持ちに勝てますか?」
官野さん:
「俺も打たれ弱いです(笑)。だけど、なんでこんな辛いことをしているのかって考えることが大事。辛いことを辛いって感じられるのって、チャンスなんですよ。当たるべき壁や山を感じられるということは、乗り切るためなんですよ。乗り切れない人はすぐ諦めるから。だから、感じられることはすごくハッピーなことだと思う。今回、アメリカ行くのだって、俺、全然英語喋れないんですけど、あえてそこに身を投じることで苦労する、つまり山しかないわけじゃないですか。それをひとつひとつ越えて行くことで、新しい自分、強い自分になっていくって考えると、ワクワクするんですよ。だから、これを越えた先に、こういう自分が待っていると考えられれば、歯を食いしばって頑張れると思うんです。苦しいなって思ったら、チャンスだって考えるようにしてみてください」
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生徒:
「ひとつのことに熱中するのってすごいなって思うんですけど、その原動力ってなんですか? 私はそういうのがなくて…」
官野さん:
「今、何もないんでしょ? 探してるんでしょ? それってすごく楽しいよね。羨ましいなって思う。きっと今、準備段階だから、この先、出会えるものとか夢中になれるものとかがあるから。受験になった時になんのために大学に行くのかを探していく作業が大事なのかもしれない。俺も、女の子にモテたいからサーフィンをはじめた。で、それがたまたま性に合ってた。ウィルチェアラグビーも、この競技しか俺にはなくて。きっとまだ準備段階なだけだから、自分を強く綺麗に磨いていくことが大事だと思うから、今、自分がやっていること迷わず突き詰めていってみてください! そうすると、いっぱい出会いがあると思います」
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生徒:
「本番に弱くて震えたりしちゃうんですけど、リオの大会みたいに大勢の前に出ても緊張しないでいつも通りの結果を出すためにはどうしたらいいですか?」
官野さん:
「元々、あんまり緊張しないタイプだと思っていたんだけど、でもやっぱり緊張することもあるのね。でも、俺、緊張って自分が作り出す幻みたいなものだと思うのね。失敗したらどうしようとか、間違ったらどうしようとか、そういうのが不安になるわけでしょ? その不安って、ミスしたらどうしよう、失敗したらどうしようってものでしょ? じゃあ、ミスしなきゃいいじゃん、ってことなんだよね。勉強だったら勉強するしかない。俺はいつもそう。いつも自分が納得できるまで練習した。自分が思っている以上に勉強してリオンの誰よりも勉強してるってくらいになれば、絶対緊張しなくなると思う」
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五十嵐先生:
「1年で代表入りしているわけですが、なぜそんなに早く代表入りできたのでしょうか?」
官野さん:
「競技を始めてすぐに自分の特殊な能力に気がついたんです。だから天才って言ってるんですけど…(笑)。自分の走るコースが線で見えるんですよ。で、努力してないとそれが見えなくなっていくんです。自分の思い描いているものと、自分の身体能力が合わないってことですよね。でも代表落ちした時に、1日20km走るようにしたらその能力と+αまでついてきたんです。自分の走るコースが線で見える能力と、コート全体を真上から見て自分がこう動くと相手がこう動く、とかそういうのが見えるようになってきたんです。たまたま性に合ったんですよね。でも、まだ銅メダルだし、やることたくさんあるから、これからも努力して1番になるまでやめたくないですね」
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長いようで短かった官野さんのお話とふれあい。最後にリオン塾生は、人生初の銅メダルを実際に手にとって眺めたり、首にかけたり、一緒に写真を撮ったりと、大変貴重な経験をしました。思っていたよりもずっと重たかった銅メダル。この官野さんとの貴重な時間を糧に、今度は自分達の夢や目標に重ねながら実現していくことになります。銅メダリストの意外な側面や、“出会い”と“気付き”で手に入れた栄光。リオン塾生は、何にも代えがたい大きな宝物を手に入れたことでしょう。
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進学塾リオンは、単に成績を上げるためだけに通う塾ではありません。
普段はなかなか出会うことのない一流の方々の話を聞き、触れ合うことで、生徒たちは日常生活では得ることのできない考えを学び、成長していくのです。

「若い彼らには、早い時期に”本物”に出会ってもらいたい」

という松田塾長の想いが溢れています。普段会うことができない”本物”と接することで、未来へのより多くの”道”を示してあげたい。松田塾長を筆頭に、リオンはそんな”本物”と出会うことができる場なのです。